剣町柳一郎の日々のつぶやきや愛読書、歴史エッセイなど楽書きしていきます。

葉たばこを売り歩く人

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T町は山から里に下りてくる扇頂の町。仰げば、白山。
江戸時代から煙草の産地であった。山では煙草の大きな葉を栽培。
質のよい青たばこ。北前船が運ぶ鰊の〆滓を肥料に、
手取川沿いの気温の差がよかったのか。
藩から許可された問屋が四軒。背負い人が二百人ぐらい。
造り酒屋と同じぐらいに、大きな産業でもあった。
明治初年は、葉を刻むと日銭が二十五銭もらえたといわれる。
米が三升買える値段である。大工の日銭が十六銭の時代である。
葉煙草を刻む家が百六十軒もあり、人気のある職であった。
葉たばこの葉脈を取り、数種類の葉を組み合わせて重ね、女が巻き葉をつくる。
その四ッ折りにした巻き葉を、男が押え板で押え、たばこ包丁で髪の毛の細さに刻む。
はじめは荒く刻んでいたが、「こすり」といって、
髪の毛の細さに刻むことが出来るようになった。
一日中働いて、普通の人で700〜800匁(約3kg)、熟練者で1貫目(3.75kg)。
商いには見本を持って、全国を行商にまわっている。
商売と同時に情報も得たことであろう。幕府と勤皇の争いなどを知るゆえか、
この町からは維新の志士たちを輩出している。
こうした手刻み煙草は、明治37年(1904)に専売制が施行されるまで続いた。
わたしの小学校時代、町には専売公社があった。畑の煙草の葉は数えてあるので、
勝手にとってはいけない。見つかると、警察に捉まえられると教えられたものだ。
葉を刻むには機械も使われ、「かんな刻み機」は木を削る鉋と同じ原理。
〆台と呼ばれる道具で強く圧搾した葉煙草をセットし、
踏木を踏むと歯車と連動する滑車や縄によって葉たばこがせり上げられ、
鉋を引くと削られて刻みができる。1人1日3〜5貫目を刻むことができた。
「ぜんまい刻み機」は幕末の弘化頃に江戸で発明され、歯車を巧みに使い、
包丁の上下運動と葉の送り出しを同時に行う。
誰でも1日1貫目(3.75kg)くらい刻めて、質は高かった。
戦後、「敷島」なんていう刻み煙草があり、祖父が煙管で吸っていたのを覚えている。
ほんの五十年前のことだが、煙管の雁首を打ち付ける音が
耳に残っている。羅宇の取り替えまでは知らなかったが。
あまり高価な煙管ではなかったと思う。金沢の廓では銀の長煙管が展示されている。
明治のたばこ商たちについていえば、ハイカラの村井、その村井吉兵衛の祖父が
T町出身である。京都の村井兄弟商会は輸入葉煙草を原料に欧米の最新技術を
導入して製造した両切煙草。「ヒーロー」「サンライス」など横文字の名をつけ、
パッケージを洋風化し人気を得る。斬新なポスターや景品の煙草カードで宣伝を行った。
ふるさとの歴史を学ぶ友人のS君が図書館に小さなコーナーを作り、
明治初期の煙草やパッケージを展示。こうした一歩こそ、温故知新。
言い尽くされた言葉だが、町起こしにつながることに違いない。
我々はテレビの事件はよく知っているが、身近な情報を知らな過ぎないだろうか。
S君の曽祖父こそ、明治初年、九州に学び、栃木まで学びに行き、
版木で刷った色包装で煙草を売リ歩く行商人のひとりでもあった。

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