剣町柳一郎の日々のつぶやきや愛読書、歴史エッセイなど楽書きしていきます。

能州古老奇談集

 小山村の八郎は日露戦争に従軍、第三軍乃木希典将軍の指揮のもと、旅順で盤龍山砲台攻撃に加わった。この時、猛烈な砲火を浴び、七連隊の大内連隊長は戦死し、多数の犠牲を出した。八郎も上腕に貫通銃創を受けて金沢出羽町の陸軍病院に運ばれた。それだけで済んだのは運がいいということである。旅順攻撃で五千人もの県人が戦死した。弾が当たった時は火箸を当てられた感じで、痛いという気はしなかったと、後日、八郎は小山の村人に語っている。明治三十八年四月、能州門前の家に帰って来た。母のやそが池田村まで迎えに行き、真っ先に「おまえ、腕に怪我をしたであろう」と言った。疵のことを誰にもまだ話していなかったので、八郎は驚いた。「座敷の観音さんの腕が、去年の八月二十二日にぽっと赤く腫れたように見えたわい」と、やそは言う。二十二日は貫通銃創を受けた日であったため、村人たちは観音様像を霊験あらたかなものと崇め、列をつくって詣でた。そして、八郎から盤龍山砲台攻撃について聞きたがった。翌春、八郎を訊ねて剣地から農家の女が訪れた。鄙には珍しい色白の顔をしていた。「もっと話を聞かせてくれ、もっと」と恨めしくいう。女の弟が盤龍山で戦死したのだった。その夜、八郎は寝ていると胸に何かが乗っているような重苦しさで目覚めてしまった。耳を澄ますと何者かが歩く音がする。足音はだんだん大きくなり、頭上で止まるのである。生臭い。八郎は怖くて蒲団を被った。そういうことが続いた或る日、近くの阿岸本誓寺の住持がひょっこり訪ねて来た。そして言うには「おらちは真宗の寺だが、千手観音像があってな、お前の家にある観音様に会いたいと夢枕に立つんじゃ。寺に観音様を預からせてもらえまいかのう」。住持はそう言って頼み込んだ。父の八郎兵衛は「本誓寺は由緒ある寺じゃが、檀那寺でもないし、大事な観音様の軸を預けることはできん」と断った。やがて、八郎は痩せ衰えて床についてしまった。夜になると天井に光るものが浮かび動きまり、「なぜ、おまえは帰って来れた。わしは爆弾に吹きとばされた」と声がする。戦争から無事帰って来たのに、こんなことで命を落とすようでは…やそと八郎兵衛は観音様にひたすら祈った。雨がそぼ降る夜、やそは夢を見た。見慣れた観音様と千手観音が川獺を相手に戦う様をである。何十匹もの川獺が歯をむき、うちの観音様に向かって行くのを、剣や弓、槍を手にした千手観音が斬り交えている。そのいくつもの手は間断なく動きまわり、その顔には涙が流れていた。翌朝、やそは本誓寺に走り、住持に観音様像を手渡した。二日後、八郎は顔色をとり戻し、床から離れた。小山村の端を流れる阿岸川に、どことなく農家の女に似た川獺の死骸があがったのはさらにその数日後であった。その骸は槍で突かれていた。 昭和五年刊「能州古老奇談集」より

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