剣町柳一郎の日々のつぶやきや愛読書、歴史エッセイなど楽書きしていきます。

背教者ハビアン

 ハビアンは安土桃山時代から江戸初期にかけての禅僧。京に出て、日本人のイエズス会修道士となる。不干斎 巴鼻庵と号した。恵俊または恵順と称し、『切支丹実録』では、生国は加賀の禅僧、恵順となっている。高槻、大坂のセミナリョで学び、日本語を教える傍ら、同地で『天草平家物語』を編纂。天主教を擁護し仏教を批判する論を張った。慶長十年、護教論書『妙貞問答』を著す。翌年、朱子学派儒教者林羅山と論争。ところが慶長十三年、修道女と駆け落ちして棄教し、江戸、長崎で切支丹迫害に協力するに至る。天主教批判書『破提字子』を著し、元和七年に長崎にて死去。修道女とともに駆け落ちしたことが人間的で興味深い。二冊の著書、切支丹護教書『妙貞問答』については、妙秀と幽貞という二人の尼僧の問答形式をとって、仏教、儒教、神道を批判し、天主教の教義について説明。原本を詠んでいないので、よくは知らないが、「仏教は無や空に帰着するので救いがない」と批判している。ところが『破提宇子』では逆転。小西行長、高山右近らの武将はみな切支丹となってからは悲惨な末路を遂げていると非難している。切支丹は国を傾け、仏神を滅ぼし、日本国を奪わんと謀反の企てがある。伴天連はその賊の棟梁であり謀反殺害の導師であるとも。それゆえ切支丹にとって『破提宇子』は「地獄のペスト」と嫌われたとか。以後、隠れ切支丹が細々と生き残るだけで、信徒たちは跡形もなく消え去った。ハビアンは禅僧、切支丹、背教者を経験した人物で、近世日本史上に輝く傑物という人もいれば、転向者の元祖とする人もいる。禅僧から改宗、イエズス会の理論者として活躍し、晩年に棄教。東西の宗教を知性で解体した男は宗教の敵か、味方か。それとも「るしへる」と呼ばれる大悪魔であったのか。それに加えて駆け落ちし、ハビアンに棄教させたほどの修道女とはどのような女性だったのだろう。果たして魔性の女か、聖女か。いづれにしても、ハビアンが謎多き人物であることには違いない。彼が加賀に生まれたとされているゆえ、とりわけ気にかかる。

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