剣町柳一郎の日々のつぶやきや愛読書、歴史エッセイなど楽書きしていきます。

名椿を咲かせた加賀藩士

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金沢の地で茶花として名高い椿をつくりだした武士がいる。頃は幕末。男はなぜ、その新しい椿をつくり得たのか。
金沢大学で植物を研究されていたK先生が「ずんべら」という本を出され、その中で、この地の椿にふれていることを知った。三十五年ほど前に発表された、先生の論文を教えていただく。その論文を読んで、かなり触発されるものがあった。「ワビスケ」のような清楚さというよりも、豪奢な佇まいで筒咲きながらも桃果を思わせるふっくらとした福福しさ。うれしいことに十一月から咲く、早咲きである。まさに茶花にもってこいである。金沢は茶道が盛んで、藩祖前田利家、利長時代には客将高山南坊もいたではないか。南坊は切支丹として有名なだけでなく、利休の七哲でもあった。 当時、兼六園には唐椿、荒獅子、五色散椿をはじめ各種の椿があり、金沢の医王山にわけ入れば雪椿や藪椿も多い。そんな野生の椿たちから新種が生まれやすかった。金沢の冬は厳しく、雪が降り積もる。雪からも、風からも椿を守ってやらねばならない。木を育てることも、人を育てることも辛抱と慈しみを要するのだった。
わたしは鉢植えの白椿を買ってきて、部屋の中に置いていた。ある夜、ぼとりと音がするではないか。椿の花が落ちた時の音であった。花が散る音を耳にしたのは初めてである。あの小さな花が大きい音を立てるとは思ってもいなかった。そんな椿であるが、寒風に耐える忍従性、生をむさぼらない諦観をも感じさせるではないか。その意味では、ぽたりと落ちる花のいさぎよさはまさにサムライのものである。蒔絵や箔、焼物といった伝統ある美術工芸品だけが加賀藩が生み出した文化でないことをいいたい。金を費やした工芸品だけが百万石の遺産ではない。

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