剣町柳一郎の日々のつぶやきや愛読書、歴史エッセイなど楽書きしていきます。

世間師について

 秋を迎えると、櫟や栗、橡といった落葉の音を立てて山道を急ぎ歩く男の背が見えてくる。その昔、世間師とよばれた人々がいた。奔放な旅をしながら目の前のものにとびこんでいく。幕末の戊辰戦争の時などは兵士となって活躍した。無宿者ともいえるが、世間をわたり歩くところがちがっている。ワタリではあるが、木挽にも、牛飼い、馬喰にもなる。老いては村に帰り、煙管を手に往時を語ってくれたという。宮本常一著『忘れられた日本人』の本に出てくる人物たち。辺境と呼ばれる地で黙々と生きる人々で、現在はそうした世間師は消えてしまったといえる。いや、世間が消してしまったのだ。
 古い歴史はすべて新しく塗りかえられていく定めにある。佐久間盛政、前田利家が一向宗の民を蹂躙し、この地に侵略して入って来たことで金澤の歴史となり、その後の百万石城下という華々しくも重厚な言葉が残った。今や、一向宗の民のこと、御坊があったことは忘れ去られつつある。これこそ観念である。宮本は書いている。『山道を歩いて戻って来た時には外の方を向いて「ごくろうでござった」と狼にお礼を言わねばならぬ』と。まるで昔話のようだが、ほんの百年前まではそういうシーンが日本に残っていたのである。
 世間師の言葉は消えたが、どうやら、歴史は事実の塊ではなく、時代を経て重なっていく観念の塊として残って行くようだ。
 新疆ウイグル地区、ウクライナ、シリア、パレスチナと世界がきな臭くなってきた。本当は、わたしたち一人一人が世間師のように見聞しなければならないが、歴史の情報が圧倒的に多い現在、わたしたちはいったい何処へいこうとしているものか、観念の類いである蜃気楼を捉まえようとしているような気もする。

Copyright © Ryuichirou Tsurugimachi All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.