今年はとりわけ雷が鳴り響く。雪も多そうだ。
葉室麟著「潮鳴り」を読む。
「蜩ノ記」の続編ともいえるが、堕ちた男と女をうまく描いている。
切腹を迎え、限られた日々を生きる男「蜩ノ記」に続いて、
生きることを捨てた男の物語。
ふと、坂口安吾『堕落論』を思い出す。戦後、すぐに堕ちたら這い上がるだけだといった安吾。
武士でなくても、戦後でなくても、人は穴に入り込み、闇につつまれ、
じっと膝を抱えて堪えたくなる時があるものだ。
これからも続くという時間に押しつぶされそうにもなる。
何に堪えるのか、それは人それぞれである。
舞台となる豊後羽根藩は架空の藩である。藤沢の海坂藩のようなもので、以後、
葉室麟にとっての古里となるであろう。
さて、物語は伊吹櫂蔵が主人公。その身なりから襤褸蔵とも呼ばれている。
海辺の舟小屋に棲み、酒と博打に身をやつす伊吹櫂蔵。
その襤褸蔵、俳人咲庵、酌女お芳の三人組が、櫂蔵の弟新五郎が切腹したことで、
羽根藩士に戻ることから始まる。新田開発奉行並役として。
勘定方の井形清左衛門の計策と立ち向かう。
つまり、生きることを捨てない男の物語と変ずる。
新五郎が陥れられた罠を見つける櫂蔵。藩の経済がからんで、話がふくらむ。
商人の会話と性根がよく描かれている。武士は命を賭すればいいが、
商人を説くにはどうすればいいか。「襤褸着て奉公」、梟の鳴き声である。
「潮鳴り」は、死ぬ者の鳴き声。藤沢の「海鳴り」とは違う。
堕ちた人が這い上がるには、何が縁となるのか。
「落ちた花は再び咲くことができるか」
読み応えがある。櫂蔵の継母・染子の存在がキーパーソンである。
謎を含む物語ゆえに、これ以上の説明はしない。
悪徳商人と賄賂で結ばれる用人や家老・重臣、
追いやられる家臣と仲間たち、藩主とその母堂。
時代物のパターンは決まっているようだが、小説の筋とはたいがいそんなものである。
ただ、「百人一首」のように、同じ春夏秋冬を詠んでも、
そこに感じるものやテーマに至る道はいろいろあるということである。
それは会話であり、主人公の考え方、描写が、物語を支えてくれているに違いない。
葉室麟は記者時代にそれを養っていたようだ。
ラストに行くに従い、話のテンポが速くなるのがもったいない。
小説は読みはじめと一緒に、終わらせ方も大事だと思う。
「潮鳴り」は読みやすく、二日間で読了。
作家にいい時間を有り難うと感謝したい。