出版されたばかりの歌集「藪柑子」をひらく。
歌った老短歌師は齢九十。大正十一年生まれで太平洋戦争に従軍。
四十を過ぎてからの五十年を振り返り、
歩いて来た自己の小さな歴史を歌う。
「忘れずにふと口ずさむ詩句あれば貧しき一生の財と思わむ」
ここにほんの一例を紹介しよう。

◎卒業を水漬く屍と繰り上げて戦に出されし我らの青春 
◎令状を受けたるあの日父は一言「そうか」と言いて俯きしまま  
◎グランドの真中に立ちて的となり雪玉を受く青き空の下
◎物置と変りし廃車は荒草の高きに埋れ暑き日を受く
◎老桜の命の燃えか太き幹は樹皮より真近に花を咲かせり
◎大声で叫び消したき過去もあり夜半に目覚めて来し方思う

藪柑子本

その一首はわかりやすい言葉で表現され、短歌は難しいということを
忘れさせてくれる。和歌と言えば、日本文学史にあって、古典的と
いえるかも知れないが、何も怖れることはない。
文学は最終的に短歌の魅力に惹かれるところがある。
なぜ、短歌といい、また和歌と呼ばれるのか。
その秘密は、声に出して詠むことにあるのではないかな。
声を出すことで、言霊を呼び、文字では伝えられないものを
伝えられるのではあるまいか。それゆえ、歌なのである。
言葉の美意識ではなく、細やかな心情を歌う、
万葉、古今、新古今、百人一首をひも解くのも愉しい。
これから先、たまには老短歌師の歌をすこしづつ紹介していきたいと思う。
平易な文体で、身の回りのことを歌ったようなものが多い。
物事はすべて、三代目三遊亭金馬のいう「ようなもの」から始まる。