近くの古墳群、和田山古墳群で出土された壷に「未」と刻まれ、
高杯には「二年」の字が刻まれていたことが、先日発表された。
須恵器は5世紀末の制作らしい。身近に「日本最古の刻字」が
出てくるとびっくりさせられた。古墳がある和田山や末寺山、秋常山は
我が家からも近く、ダンクと散歩したりするが、
スズメバチが飛んでいるので、最近は出かけていなかった。
山というより小高い岡である。その麓では蛍が飛びかう。
桜の名所でもあり、よく桜見に出かける処でもある。
和田山1

さて、「未」と「二年」の二つの文字は、時を、年を表すものなのだろうか。
どこで焼かれたものだろうか。すでに地方にこうした文字が広がっていたのか。
疑問がつづく。このあたりに文字を持った古代人が
暮らしていたということでもある。誰が伝えたものか。
中央から伝えられたものなのか。それとも、この地に来た渡来人なのか。

和田山須恵器

住んだ理由は、手取川にも近く、稲作にも適しているからだろうか。
この和田山は、また古来、戦には柴田勝家が陣を築いたり、戦の要所でもある。
和田山古墳群では、前方後円墳や円墳など23基が確認され、
3世紀後半から6世紀前半の間に造られ、その変遷をみることが出来る。
5世紀に造られた和田山5号墳は全長約56メートルの前方後円墳で、
2つの埋葬施設を持っている。須恵器は昭和52年に掘り出されたもので、
木棺からは六鈴鏡、神獣鏡、鈴付銅釧、管玉、櫛、甲冑、刀などの
武器・農工具をはじめ鈴釧など大量の副葬品が出土。武器・武具が多いことから、
この古墳に埋葬された人は強大な武力によって能美地域を支配した首長で
あったことが推測できる。力を持った人物が生まれでる時代であったといえる。
まだ中央政権ができる前、地方に首長が割拠していた時代で、
中央と地方が別々の世界を持っていたことに大いに関心がいく。
そして、首長の名は? 古代へと思いは飛ぶ。

と言えば、赤い死人花、幽霊花ともいわれる彼岸花が連想される。
そこらかしこに見られるが、縁起が悪いといって嫌うひとが多い中、
わたしは好きだ。赤く、綺麗な造形美を誇り、曼珠沙華の名もいい。
名田庄村の川岸からとってきた曼珠沙華が今、家の前で咲いている。
こぼれ落ちる山萩の花とともに。

彼岸花