朝、寒いはずだ。うっすらと雪が積もっていた。

西部劇「ワイルドバンチ」を観る。1969年製作、サム・ペキンパー監督。
40年前に観て、心が動かされたウェスタンだった。
当時、西部劇をすべて観ることに挑戦していたし、また西部劇関係の本にはすべて目を通し、
あげくは6年後、その本場ともいえるシァイアンやデンバーまで行って来た。
インディアンに関する名著「わが魂を聖地に埋めよ―アメリカ・インディアン闘争史」は
面白くて、徹夜して読んだものだ。インディアンの目から見た、アメリカの横暴を描いている。
ところが今、改めて「ワイルドバンチ」を観て、映画のエピローグを忘れていたことに気付く。
追いかける役のロバート・ライアンが、男たちが亡くなり居なくなった後に、
壁によりかかり虚しくなるシーンは忘れていた。あのカットは、正を裏付ける負であった。
ラストのアパッチ将軍を撃ち、200名のメキシコ軍とやりあう主人公たち。
ガトリング銃を連弾するシーンは、やはり映画史に残る。倒れ往く男のスロモーション。
後に創られた名作「明日に向かって撃て」のラストを想い出させる。
あの映画は舞台はメキシコではなく、南米のボリビアに流れつくラストであった。
「ワイルドバンチ」は、男たちの笑いをじつに清々しく上手に描いている。
笑うしかない男たち、笑いだけが彼らの希望でもあった。
ウイルアム・ホールディン、アーネスト・ボーグナインの笑い顔が実にいい。
なぜか、しっかりと記憶に残っている。銀行強盗や列車強盗を企む悪党でありながら、
仲間のメキシコ人のために命を捨てるという、やるせなさは
あの映画がつくられた当時のアメリカ人のものだけではなかったはずだ。
アメリカ人の良識ともいえるウイルアム・ホールディンが
適役だった。強くもなく、平均的で、大人しいアメリカ人を演じつつ、
国家の権力に追い立てられるように逃げる、その背景に
ベトナム戦争があったとはいわない。難しい言い方をすることを許してもらえるならば、
アパッチ将軍に向かう逃げない男たちは時代を超える「義」のようなものだろう。
ワインの樽の中での哄笑シーン。貧しい女たちへの哀れが男たちを死に
駆り立てたともいえる。が、そんなヒューマンな意志ではない。底には、優しさを持っていても、
非情である。ハードボイルドの真骨頂である。
脇をかためるベン・ジョンソン、ウオーレン・オーツもいい。
ガソリン車と馬、酒、メキシコ軍。効果的に挟む、疲れて貧しいメキシコ人のカット。
文明が来る前の、最後の西部を丁寧に描き、無法な男たちを描いている。
全編に流れる「ツバメはどこへ」の歌が、ツバメが飛ぶのに似て、
男たちの流れ先を知る由もないと暗示している。
流れ着く先といえば、本当に、わたしたちはどこへ行こうとしているものだろうか。
男だけしか出て来ないともいえる「ワイルドバンチ」。
以後、わたしはサム・ペキンパーの作品はすべて観ている。