長谷川櫂さんの講義に出る。

ぼーっとした時、放心している時に、句作ができるものだという。
それは宇宙を見ているような時で、写実的に物を見つめていても
お喋り過ぎてしまう。言葉で表現できないものを句に出すのが肝要。
芭蕉の「古池やかわず飛び込む水の音」
これは、切れ字の「や」でなければならないという。
「に」では目の前の池になり、面白くない。
「山吹や」で始めればという其角。古典的で良くない。
なるほど、「やとに」の違いで、抽象であったり、具象が出てくる。
テニヲハの発明が漢文を日本文にしたのだ。助詞にはもっと
「蝶番」のようなものがある。俳は批評の心である。
蕪村の新しい解釈をして見せ、
辻原さんが、芭蕉の「枯野」に友人が発見したことだがと前置きし、
枯野は船の名前であることが、古事記にも出てくると言われる。
仁徳天皇がこの船に乗り、日本を駆け巡るという。
夢は「枯野をかけめぐる」というのは、船のことだったとは!
まだまだ、気がつかないことがあるものだ。
発見する喜びは何も大陸や湖、自然に限らない。