県の美術館の横にある「藩老本多蔵品館」の、本多家十二義士展に行く。
正確には、「政均暗殺と忠臣の仇討」展。
じつは「櫻坂」16号に書いた「策平の辞儀」に登場する
矢野策平が中心となり、政均の近親でもある本多弥一らが、
明治五年に主君本多播磨守政均の仇を討った事件である。
藩主慶寧が藩知事になり、加賀藩は急激に変わって行くことになった頃である。
その中心となる執政に播磨守政均がいたため、
明治二年二ノ丸にて暗殺された。以前の、政均が行った
勤皇派の粛清への反感があったといわれる。
政均の無念を思い、暗殺に関与する者たちを討ったという実話。
明治忠臣蔵ともいわれ、日本最後の仇討ちでもある。
以後、これを機に仇討ち禁止令が出ることに。
暗殺の背後にいたのは誰かと今でも謎とされている。
一説には、同じ重臣の前田土佐守ともいわれ、
あるいは、中央の岩倉具視の教唆によるものだとか。
このあたりは、暗殺に関与し、本多義士の追っ手から、
近江に逃げた元藩士岡山茂の残した言葉からもうかがえる。
まだ歴史の藪の中といえよう。
義とは?意地をつらぬくものだろうか。報恩の行為?
そんな義士たちの手紙や軸物、遺品が展示されている。
策平の書軸をご子孫の方から借り出すことで協力させていただいた。
百五十年近く前の話が、身近に感じられるひと時であった。
仇を討った後の義士たちは刑嶽寮に出頭し、切腹を命じられている。
写真は、その義士たちの墓。大乗寺に入って左に十二の墓碑が並び、
その奥に本多家の墓碑がある。これからの季節、紅葉につつまれた
歴史の墓碑を訪ねて散策するのもいい。

十二義士

なおこの仇討ち話は、松本清張全集36の「明治金澤事件」や
中村彰彦の「明治忠臣蔵」で小説になっている。