身寄りがいなかった叔母の遺品を引き取りに行った。
古いアルバムがあった。若かりし母や祖母がうっつている。
戦前の我が家と出入りしていた人たちである。
わたしも彼ら、彼女たちの顔を覚えていた。
叔母が施設に入る前に、祖母がそれら写真を
持たせて上げたのだろう。
不鮮明な写真が多い。
小さな六文字名号、
割れてガムテープで貼り付けた観音様もあった。
今、露となって、亡き祖父母に再会しているだろう。
叔母は生まれて三日後に高熱が出て、小児麻痺になり、
医者では治らなくて。
祖父が富山の祈祷師のところに連れて行って
しばらく滞在して祈ってもらったとも聞いている。
終戦の日、祖父はリヤカーを引いて、叔母を
疎開先に迎えに行ったとも聞いている。
叔母にとって眠りは浅く、過去は記憶という現実であり、
その中でずっと眠れることが唯一の夢であったような気がする。