連日、35度に届く暑さ。
家の中に引き蘢っている。夕暮れの犬の散歩もサウナにいるような感じで、
息が苦しくなる。それでいて、庭の下野草はピンクの花をつけた。
蚊がいるので、木陰のチェアでひと息をつくわけにもいかない午後。

一冊の本を手にした。
「生の日」ばかり、のタイトルが何かを訴えてくる。
「痛切に、人の言葉が欲しい、と感ずるようになった。こんな
自分の姿は、まるで十四階のベランダに出て、空の見えない処に向かって
手を差し伸べる者のようだ」の一行が心を打つ、八十二歳の最後の著述である。
いわば遺書のようなもの。一冊の本に出逢った。
本を書かれた秋山駿は昨年10月に亡くなられた評論家。
彼は言葉を頼りに、自分の原点である「中原中也詩集」に下りていく。
苦しい時に探し物を捜すように…なるほどそういう読み方もあったのか。
中也は誰の詩よりも深かったことに気付く。
小林秀雄が「中原が孤独病を患って死ぬのには、どのくらいの叙情の深さが
必要であったか」といい、詩「六月の雨」で、中原が大切にしていた児童と
しての顔を肌身で感じた小林に気付く秋山。
かの隆慶一郎もそうだった。彼にとって、
中原中也詩集は戦地に赴く時にこっそり携え、読みたかった唯一の詩人である。
人は死を意識すると詩に回帰していくのかもしれない。
その凄惨な文章を、秋山は自分だけの言葉で書き綴っている。
「痛い、痛い」と六年間も泣き叫ぶ妻と生き、自分も杖を片手に、
二週間に一度、いつもの公園に行くのを唯一の愉しみとする。
光りにつつまれる子に泪し、自転車にぶっけられて怪我し、
やがてそのために頭を手術。なぜこういう目にあうのか、
因縁で片付けられるものなのか。
小林秀雄から中原中也、信長、藤沢周平へ。多岐にわたる文芸評論と読書記。
彼の心にしみていく言葉に惹かれる。
また、彼は驚く、大日本帝国には勝利する戦略が本当にあったのか。
ワシントンを攻撃し、西海岸に上陸するイメージを抱いていたのか、ということに。
そういえば、終戦を、戦いを書く人は多いが、誰もそのことにふれていない
ような気がする。もし勝つという戦略がないままに戦争に突入したのであれば、
こんなにひどく、奇妙な戦争はないという秋山。
「外出。一歩、一歩、杖ついて命が歩いている」ともいうが、
そんな言葉に、自分は心は動かされたわけではない。
「誰も読んでくれない言葉を書くのは何かということなんだ。自問自答の、
自分一人だけの言葉があるんだ。一人で死んでいくときにも言葉が要るだろうという
言葉の側面」という一行こそ真摯であり、わたしに攻撃的でもある。
「自分一人だけの言葉」こそ、孤独を深め、
心地よく時を過ごす為のものだろう。孤独は、人から個を独立させてくれるに違いない。
そして、それこそ命が歩いて行くということなのだ。
秋山駿著「死を前に書くということ」講談社刊。
暑さの中で、言葉を削った文章とはこうあるべきかを知った。