BSで「自伝なかにし礼」インタービュードキュメントを見る。

青年時代、銀座でのシャンソンの訳詞アルバイト、
裕次郎に頼まれた黛ジュンの作詞「恋のハレルヤ」
弘田ミエコ「人形の家」ピーナッツ「恋のフーガ」で、
いちやく恋の作詞に秀でた作詞家となる。
人気が出ると、兄の無心から借金地獄に陥る。
そんな頃、美空ひばりから声がかかるが、
「絶不調」ですのでと答える。12曲作って、ヒット曲が生まれず。
申し訳ないと言う苦しい思いにうち塞がれたことだろう。
「歌は鎮魂だ」と言うなかにしの言葉が心に残る。
聞く人だけでなく、作る人も、歌う人も、鎮魂になるのだろう。
満洲での逃亡の日々。葫芦島から日本に引き揚げる。六歳の時。
生きるために、列車にすがる人の指を
一本一本離した強烈な思い。良心の呵責。残機な思いに苦しめられるが、
それが作詞の言葉となっていく。彼には鎮魂となる。
さらに、原動力になって、「兄弟」「長崎ぶらぶら節」を書かせる。
印象に残るドキュメンタリーだった。
母校の本館(時計台の下)が出てきたが、あの部屋で
講義を受けたひと時が、私も懐かしく思えた。